摩耶山

去年の夏、散歩の延長で山に入ってしまったことがきっかけのひとつ。

あの日、平地を歩くにも足捌きが悪いロングスカートをはいていたのに、面白半分に登山道へと逸れていったのが間違い。始めは小川に沿った緩やかな道を木陰の涼を楽しみながら歩いていた。こんなに心地よい風が流れる場所が街を少し外れるだけであるなんて、知らなかった。地元の人たちの毎日登山のおかげで道はきれいに整っているし、こんなところに茶畑があるなんて、みんな知らないよね?すげー面白い。まあ機嫌よく歩いていたのだけど、ここからネックとなったのは自分の性格。端的に言うと、もと来た道を戻るのがイヤ。道が、山を「登る」感じになってきて、この格好では歩きにくいぞと気がついても、引き返すのって面倒くさいし面白くないじゃない?たまにすれ違う人たちはちゃんと山の服装をしているから、コレってなめてるよなーって自分の姿をちと恥じるも、戻る判断ができない。できないんだ、私は。靴こそスニーカーだけどラン用の薄いソールのあれだから木の根を踏むと足の裏に感触が伝わってくる。蚊とか小虫が顔の周りをぶんぶん飛んで鬱陶しいったらありゃしないんだけど、タオルを回しながら(湘南の某かよ)、スカートたくし上げながら歩く。九十九折の坂道の一辺が長くて息が上がる。盛夏の熱さは街よりも穏やかとはいえ、昼摂った水分がそのままかぶったように体の外へ。虫はたかってくるし。もー。マイルストーンみたいな標識もよく判んなくて、どこまでどこからの数字なのか、でもカウントダウン(アップだったっけ?)しているから前に進んでいることは、たぶん確かで。舐めてましたごめんなさい、ってなんどか木漏れ日を見上げて誰となしに謝ってたら、山頂へ辿る道とケーブルカーの中間駅へ向う道への分岐に着いた。更に別の登山道(上野道、それまで私が歩いていたのは青谷道)から下山するルートも近くから分岐するけど、ギブ!私の脚で下りたら爆笑して進めなくなる。ケーブルカーの駅を目指してタオル振りながら歩いてたら、視界が開けて、街と大阪湾を一望するところなんかに出くわして、

登ったよねー、なんかかなり登っちゃったよねーって満足に浸れたけど、ケーブルの「中間駅」に着いて、ほうほうの体で自販のジュース一気飲みして、ケーブルカーの席に座ったらなんか負けた気分しかなくて、帰途思ったのは「摩耶山いつかちゃんと登ったる」。

週六で半日立ち仕事だからか、足腰はそれなりに丈夫なようで、歩くだけでは筋肉痛を引きずるようなことはなく、いや違うな、まだ生ぬるいからだ、まだまだいじめ足りないから筋肉痛にもならへんのや、と、M心がむきになりそうでその歯止めに腐心したり。それから何度か休みにちょこっと山を歩くようになって、寒くなりだしてから特に、ともだち少ない自分にはもってこいの場所だなって居心地よく思うようになっていた。私が歩ける範囲の山なんていわば公園。毎日登山の人とか行政とかが管理して整えてくれているから、その「人の手」を感じながら、しかしながら人の姿が(街に比べれば)とても少ない場所で自由に過ごせる。この山をホームとしている人は多いけど、気後れするアウェイ感がなくて、山ってそこがありがたい。聴きたい音楽に、色づく木々や水の流れを充てながら脚を動かす。外国のエレクトロニカと山、合うね。

年末年始の繁忙期は風邪と怪我を警戒して出歩くことを自粛していたもんだから、私のエア犬の前足が土をかいていたのを、リードを引いてなだめすかしていた。もうこの休みを利用しない手はない。今年の正月に病み上がりの景気づけにガチ過ぎない山靴を買って

(ねえ、これ超かわいくない?色の使い方とか、やっぱメレルっていーわー。)、リュックがないから相変わらずふざけた斜めがけバッグをかついで。一昨日、ご無沙汰してますってまずは修法が原を経て布引をテクテク歩いた。何度も歩いて慣れてしまうと飽きるかもしれないって心配したけど、季節ごとに見えるものが違って面白い。陽が翳ることがないのに風花が舞い続け、色のない山を背景に西日に輝く粉雪の美しいこと。つまりめちゃめちゃ寒くて何か暖かいものを抱きしめたいと妄想に耽りながら下山。山中にても煩悩は致しかたなし。

昨日、スタート時刻が遅いかなと気にかけつつ、(新神戸→)布引から市が原へ向って摩耶山方面へ。この道、いちど行きかけて日が暮れたので摩耶へ向う前のハーブ園山頂から下りたことがあって(なんならロープウェーで下りようかと思ったら運賃がアホみたいに高くて、アホかつって歩いて下りた)、この先を進めば摩耶山なのねって、あの時もはるか遠い摩耶山のイメージが刷り込まれたもの。全く興味のなかった六甲山系に急に入るようになったもので、山登りの一般的な感覚が判らない。ていうか感覚も体力も標準に達してないのかもしれない。こないだ美容師さんに「摩耶山登りたいんですよ!」って力んで言ったら、こども背負ってひょいっと登ったよって言われて、まじすかーってやりとりになったところだし。それはさておき、ルート的には市が原から天狗道を経て摩耶山のつもりで進みだしたんだけど、今「まやケーブル」が休止中だもんで山頂からも徒歩で帰らにゃならんとして、って逆算しながら歩いてたら、やっぱし遅いんじゃないかなーって不安になってきた。半縦トレランを趣味にしている知人に「天狗道しんどいよー」って脅されているし。(※半縦とは、六甲全山縦走の半分のコースの意。そこを五十路で爆走する猛者がいらっしゃる。)ま、行ける所まで行ってどっかでエスケープルートを下りるべ、という方針で前に下りたハーブ園を後にする。そっからいきなしまあまあしんどいやんけ。はあはあ言ったり、高みから海を望んでふはーって嘆息したり。ライブの予習にceroを聴いてたらアがる曲になってしまってついペースもあがって死ぬかと思ったり。天狗、恐るべし!ところが、ところがです、「登る」から「歩く」に変化してほっとしていたら分岐と地図が登場。そこで知るのは今来た道は天狗道ではなく、稲妻坂であって、これから、今からが天狗道だという。まじかー、あれ天狗ちゃうかったんかー。市が原から摩耶山まで3.6キロって書いてあった。半分くらいは来ただろうって思ったら、この時点でだいたい1/3。まじかー。時間を考えて、今回はここで下りることに。学校林道を下って、そのまま道なりに旧摩耶道に入って雷声寺へ向うと西へ戻りすぎてしまうようなので「中尾町」という矢印に従ってみることにした。そしたら、ここ、あんまし人が通ってないみたいで、道は道なんだけどクヌギの落ち葉が深くて滑る滑る、一歩一歩滑る。いっかい尻餅ついたし。足が道を外すと落ちるわけでしょ。落ちちゃわなくてもここでクキって捻ったりしたらきついでしょ。落ち葉ってこんなに怖いのかって、軽くぞっとした。ひゃーひゃー言いながらなんとかかんとか歩いてたら、小さな堰堤の上にあたる広場にポンと放り出されて、え?え?道の続きはどこかしらって急に焦るシチュエーション。四方を見ても道のきっかけなんて判らない。もしかして行き止まり?こんなところで行き止まり?戻るの?あの滑る道を登るの?面倒臭えー。勘弁してよー。と無言だけど舌打ちくらいはしますわな。ため息もつきますわな。ため息ついでに下を向いたのかね。木立の足元にペットボトルが落ちているのが目に入りました。こんな山の中にもゴミですか。ペットボトルの中に紙が入っています。二度見からのガン見からの、あーりーがーとー。「下りの道は堤防の左側(東側)です。まっすぐ行くとけもの道。時々、間違っておりられる方がいます。」あった、左に道あった。ペットボトルの人、ありがとう!そこからちょっと歩いたらちゃんと中尾町に着きましたとさ。ほ。

街へ下りて、素晴らしい甘味屋さんをみつけて甘酒でお腹を温めて、

かねがね入りたかった灘温泉に寄って、八幡さんの厄除けのお祭りを楽しんで帰りました。しかしながら、摩耶山は遠かりし。トェンティクロスを経由しての摩耶山って私にはまだ荷が重いかな。次も素直に天狗道をリトライするか、悩むところ。長峰から徳川道というルートもあるのか。ありがたいことにまだ飽きない。